イギリス生活での、不便はなに?

日本から遠く離れた外国に住むとなると、日々さまざまな不便に直面することになります。 では実際には、どんな不便があるものなのか、こちらではそれらについて述べてみたいと思います。

 始めは何もかもが物珍しく、いいこと尽くめのように感じられてしまう海外生活ですが、時が経つにつれて、日本では当たり前だと思っていたことが実はそれは、大変優れた技術に基づいた素晴らしいことだったことに気付かされるようになります。

悪名高きPublic Transport

 有名なところでは、イギリスの悪名高きPublic Transportのいいかげんさが挙げられます。 電車が遅れるのに特に理由は必要ないらしく、天気も良く、特に走行に問題があるようには思えない日でも、なぜか数分の遅れがあるのはしょっちゅうです。 

 また、いつも5番線から出るはずの電車が時間ギリギリになってもホームに入ってこないので不思議に思っていると、同じようにその電車を待っていた周りの人が急にバタバタと去り始め、何となくイヤな予感がして彼らを追いかけて、偶然、出発ホームが1番線に変更されていたことに気づく、ということも、珍しくありません。 

 その上、運良く希望の列車に乗り込めても、「次の駅では、ホームが短いため、最初の四両目までしか乗り降りできません」などということがあるので、気が抜けないのです。トイレが使えないのもしょっちゅう、それでも、電車料金は決して安くはなく、特に朝の通勤時間に乗車するとなると、「ラッシュ時料金」として、驚くほど高い料金を請求されるのも、納得しにくいところです。

スーパーやコンビニエンスストア

 また、日本ではスーパーやコンビニエンスストアが毎日営業しているのが当たり前ですが、イギリスでは日曜日に休業してしまうお店がいまだに多いのです。 これは、そもそも日曜日は教会に通うべき「聖なる日」だったためらしいのですが、夕飯時にうっかり卵がない!などといったときには、本当に困ります。 

 幸い、最近は日曜でも朝10時から夕方4時まで営業するお店が多くなってきたのですが、それでも、いつでもコンビニエンスストアで大抵のものは手に入れられる、という便利さになれた私たちには、この上なく不便なことのように思えてしまいます。

 ついでに言えば、店内で「ゴマのペースト、どこですか?」などと訊ねても、「さぁ、、、?それ、何ですか?」と訊き返されることが多い(=教育が行き届いていないせい?)ことも、不便といえば不便なことです。

 そのスーパーに行くにも、車が運転できないと大変です。 特に大きな店舗は、街のちょっとはずれに位置していることが多いので、田舎に住んでいる人はもちろん、ロンドンの比較的中心部に住んでいる人でも、自家用車は必需品のようです。 子供の送り迎えも車が当たり前、というお国柄ですので、免許や車がない人は、とても不便な思いをすることになるのです。 (自動車に関する参考サイト:ユーザー車検マニュアル

日照時間が短い

 それから、これは不便というよりももっと深刻な問題ですが、イギリスは日本よりずっと日照時間が短いので、気付かぬうちにうつ病になってしまうことがあるのです。 夏は晴れていれば夜10時過ぎまでツラツラと明るいので良いのですが、冬は午後3時ごろには早々と日が暮れ始めます。 私が「日焼けしなくていいじゃない」などと思っていたのは最初だけで、じきにその陰鬱な気候に、嫌気がさしてきました。 

 イギリスでは、Seasonal Affected Disorder(=SAD、冬特有のうつ病)という病名が雑誌などに頻繁に登場し、そのSAD対策に、日光を浴びているのと同じ効果を持つ照明が売り出されるほどに、これは切実な問題です。 言ってみれば、毎年イギリス人が長期の休みをとって旅行に出かけるのは、自国では浴び足りない日光を、他所の国でたっぷりと浴びるためでもあるのです。

 他にも、一日の中で天気がコロコロと変わり、いつ雨が降るか分からないため、日本で履くような可愛い靴など履いていられないとか、いつも雨具を準備しておかなければならないから荷物がかさばるとかいうのも良く聞くことですし、車上荒らしや泥棒が多いので気が抜けない、食べ物を保存するときに使うラップの品質が悪い、水が硬水で肌や髪に悪い、配達業者や家の修繕の職人と約束をしてもまずその日に来てくれない、「あれ、あの演歌歌手の名前、何ていうんだっけ?」とか、「『左』って、どういう書き順だったっけ?」などといった質問を夫にしても無駄である、日本と9時間(*夏時間の間は8時間)の時差があるので、家族に電話したいときにできない、とかいったように、イギリスでの不便さを挙げていったら、キリがありません。 

 それでも、これらの不便さのお陰で、それまで気付かなかった日本の便利さや技術の高さを、つくづくありがたいと痛感できるようにはなったので、私は、それはそれで良かったのかな、と解釈するようにしているのです。

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